雄琴ソープを中心に全国各地の風俗の歴史を徹底解明!「風俗歴史館」へようこそ

2015/12/14

雄琴ソープ街が出来た経緯

雄琴温泉で最初に創業した湯元館と大衆浴場(大正13年)
雄琴温泉で最初に創業した湯元館と大衆浴場(大正13年)
photo by イーゴス108 CC-BY-SA, from Wikimedia Commons

滋賀県の雄琴と言えば、温泉で有名な土地です。琵琶湖の西岸、大津市にある地域で、最澄が開いたとされる約1200年の歴史を持つ由緒ある温泉として知られています。家族連れも多く訪れるこの雄琴温泉ですが、この雄琴温泉から少し離れた場所にあるのが、風俗好きの間でも有名な雄琴ソープ街です。

雄琴温泉と雄琴ソープ街は、同じ地域にありながら今ではある程度の社会的な距離をとっていますが、かつては非常に密接した関係でした。雄琴に初めてのソープランドが開業したのが1971年のことで、そこからほんの数年で雄琴には巨大な風俗街が形成されることになりました。

この頃は、雄琴の風俗街で遊んだ客が温泉地に行ったりすることも多く、両者ともに潤う関係であったのですが、その関係が有名になりすぎたせいで「雄琴=風俗街」というレッテルが貼られ、女性客や家族連れ、修学旅行客などに避けられるようになってしまいます。温泉地として有名だった雄琴でしたが、1980年代の温泉ガイドブックなどには掲載すらされないこともしばしば、90年代の同様の雑誌などには温泉のある歓楽街として紹介されるようになりました。さらに、マイカーブームで遠方からでも温泉に行かずに風俗街を楽しめるようになったこともあり、良好であった関係も崩れ、現在では温泉地とソープ街はしっかりと距離を置くようになりました。

さて、有名温泉地として知られていたとはいえ、なぜ雄琴に大きなソープ街が形成されるに至ったのでしょうか。これには1971年の3月に制定された京都府のソープ禁止条例が関係していると言われています。それより以前は京都でもソープランドは存在していましたが、この条例が制定されたことによって京都中に散っていたソープランドが人の集まりやすい雄琴へ移ってきたというわけです。だからこそ、近くに温泉街があるという好条件の立地とはいえ、風俗街として急激な成長が可能だったのです。

現在の雄琴ソープ街は、西日本でも有数のソープ街としてソープ好き・風俗好きの間では人気の土地となっています。雄琴に最初に作られたソープランドは今も変わらず営業を続けていて、雄琴一の老舗店として高い人気を誇っていますし、それ以外にも有名な店も登場したことで人気としては近場の福原ソープ街に負けず劣らずというレベルです。しかし、福原とは違うタイプのソープ街となっていて、福原で遊び飽きた方には新しい刺激として十分楽しめるソープ街となっています。

ここまで述べてくると雄琴に遊びに行ってみようかと感じた方もちらほらいるだろう。そこで私からおすすめのサイトを紹介しようと思う。偶然見つけた「雄琴ガイド」というサイトは、雄琴という地域に特化していて、且つ業種をソープだけに絞った風俗サイトというのが実に面白い。是非、一度読んでみて欲しい。

2015/12/14

雄琴ソープランドの現在

雄琴にあるソープランドの公式サイト
雄琴にあるソープランドの公式サイト。雄琴ソープのやる気が覗える。

全国的にソープは不況だと言われています。警察の取り締まりと不況、他業種(ヘルス・デリヘル・エステなど)の台頭で、一時期は「風前の灯」とまで言われていました。雄琴もご多分に漏れず店舗数を減らし、最盛期より10店舗以上数を減らしています。しかしここ数年、生き残りをかけたソープ店の努力により、また息を吹き返し始めています。

平成生まれ以降の女性は、打算的で冷静…そしてネット情報により以前まで「未知の世界」であった風俗の情報が入りやすくなり、もっとも稼げる業態としてソープランドを選択する子が増えていることもソープ店にすれば嬉しい追い風だったのです。以前なら街中を駆けずり回ってコンパニオンのスカウトしていましたが、現在ではHPを見た女の子自らが面接を申し込んでくるのです。女の子専門の高額求人サイトの乱立がそのもっとも大きな要因でしょう。

東京や神奈川、神戸福原など、繁華街のそばにあるソープ街は、ヘルスやピンサロ、エステに闇風俗と、他業種が山ほどあり、その数はソープ店をはるかに凌ぎます。こういったソフトサービスは低価格で、客層があまり良くなく、そういったマナーの悪いお客の流入に苦しむのはコンパニオンです。他業種の存在しない雄琴の噂を聞きつけて店を移ってくることで、実力のあるコンパニオンが多く存在することも、雄琴のレベルの基本を支えていると言えます。

そして廃れかけた雄琴を革新的に変えたのが、大手のソープランド・風俗店グループの出店です。LTIグループや、京都プルプルグループなどが、度肝を抜くような巨大高級店を次々に出店し、雄琴「川筋通り」を埋め尽くしました。そのあまりにも高い店舗とコンパニオンのクオリティーの噂は、またたく間に広がり雄琴ソープ街の客筋までも変わってしまったのです。元気づいた雄琴の大衆店クラスの店舗も、リニューアルや新店舗の出店で、それまで雄琴になかったコンセプトを打ち出すソープ店も増えつつあります。

雄琴ソープ街のやる気はHPなどにも表れます。インターネットでの宣伝の有効性には全国のソープ業界も気付き、現在ではほとんどのソープ店はHPを配信しています。そして、他の地域のHPと雄琴のそれを見比べると、明らかな完成度の違いが見られます。見やすくスタイリッシュで、情報のたくさん詰まったHPにかける費用は相当のものだと推測できます。

繁華街で遊んだ後に勢いづいてソープランドへ・・といった飛び込みのお客が期待できない、「郊外型」の雄琴だからこその必然性がそこにあったのかも知れません。建物の老朽化が目立つ他の地域のソープ街とは違い、雄琴ソープ街は非常にきれいで、街自体が遊園地のような別世界です。古くからあるソープ街のイメージを一新させた新しい「雄琴」は、全国のソープ街の中心的な存在にになるほどの活気が感じられます。

2015/12/14

風俗業界の自然淘汰と巨大化

風俗業界は年々様変わりし、5年前と現在とを比べても大きく変動しているのが実情です。その動きの早さは、「風俗好き」を自認している人でも、「常に遊んでいないと流行を見過ごしてしまう」ほどであり、世界的に見てもこれほど形を変える風俗業界があるのは日本だけでしょう。近代風俗の始まりと現在までの流れをざっくりとおさらいしてみましょう。

戦後から現在までの日本の風俗史

戦前、日本には「赤線・青線」と言われる遊郭が存在し、戦後の法整備で姿を消しました。そこから日本独特の「風俗産業」の歴史が始まり、現在に至っているのです。

終戦

全国手に点在していた「赤線」「青線」などの遊郭が消滅する

戦後

赤線・青線地帯があった場所や工業地帯に「ちょんの間」と呼ばれる風俗が各地に現れ、高度成長期とともにその数を増やす。警察当局の手入れに対して微妙に場所や形態を変化させ、大規模な遊郭が日本のどこに行っても見られるようになる。

トルコ風呂の出現

1950年代にトルコ共和国の文化の一つである大衆浴場を模した、浴場形態で女性が入浴のアシストをするサービス店が現れて、次第に性的サービスが行われるようになり人気を集める。関東を中心に各地で店舗が出店され、これが日本の近代風俗の幕開けとなる。

「ソープランド」へと改名、そして「風俗カンブリア紀」へ

1980年代、トルコ共和国の学生運動から”トルコ”という名称が使えなくなり、「ソープランド」という呼び方に変更される。